2019年2月25日月曜日

2月20日(水)浦河市民集会「今だから、ちゃんと話そう。日高線」ご報告

皆さま、こんにちは。村井です。
日に日に寒さも和らいでまいりましたが、先週は胆振東部地震の大きな余震もあり、私も含めて怖い思いをした方も多いかと思いますが、皆さま無事でお過ごしでしょうか。

さて、私どもJR日高線を守る会は、先日2月20日に浦河にて市民集会を開催いたしました。日高管内外より30名ほどが集まり、大変有意義な議論が交わされました。全てではありませんが、主要な発言を文字起こししたものを以下に収録いたしますので、ご一読頂けると幸いです。なお、この全文は、日高町村会の各町長様にも郵送しています。

私たちの視線はとかく足元に向きがちですが、ひとたび視線を北海道の外へ転じてみますと、福島県では只見線の復旧工事が8年ぶりに開始されようとしています。また、三陸鉄道はJR山田線を譲り受けて被災部分を間もなく復旧します。九州では熊本震災で不通になった南阿蘇鉄道などの復旧に向かっています。日高線の位置付けはこれらの復旧工事下の本州以南の鉄道と比べても決して低いわけではありません。鉄道の持つ地域維持の大きな効果をご理解いただいたうえで、いま一度この素晴らしい日高本線の価値と意義をご確認いただき、そして復旧存続についての議論を喚起したいと思います。

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2019年2月20日(水)  於 浦河町総合文化会館2階 第三研修室
「今だから、ちゃんと話そう。日高線」 主催:JR日高線を守る会
参加人数:約30名(報道含めて40名弱) 18:00~20:00

発言録(順不同)


■様似町・男性80代
「国は、北海道をどうするつもりか」
様似駅は始発駅でもあり終着駅でもある。日高線が様似まで全線開通したのは昭和12年。私は昭和11年生まれなので日高線は一つ年下の弟です。昔の日高線は、貨車の入れ替えをやっていて、静内や富川では20~30分もかかった。札幌まで行くのも一日仕事だった。一番列車に乗って室蘭発の準急に苫小牧で乗り換えたら1時過ぎに札幌に着いて、3時の札幌発の列車に乗れば苫小牧発の最終列車に間に合う。日帰りできると当時話題になった。

様似から札幌まで4時間で行けるようになり、それが一日3往復あった。なぜかは分からないが、それを無くしてしまった。JRは、わざと乗りにくくして乗りにくくして、「(乗客が)乗らない、乗らない」と言っている。それもいかがなものか。

日高線は、木材や馬の運搬も担っていた。貨車に、馬が乗れるような柵を作って、牧草も積んで、馬を管理する人も一緒に乗っていた。大きな駅へ行って貨車の入れ替えになると、どっかの構内の端っこにボーンと置かれてしまって、いつ運ばれるか分からない、そういう歴史があって大変だった。

ここへ来て、日高線をなくすという。JRは採算が合うか合わないかしか考えていない。私も仕事で全道各地を歩くが、広尾線がなくなり、池北線がなくなり、あらゆるところがどんどん廃線になっている。日高線もなくなったら、この襟裳岬を中心にした胆振から十勝にかけての三角地帯から鉄道が全くなくなるということになる。その中から思い浮かぶのは、「国は一体北海道をどうするつもりか」ということ。赤字の問題というのは日高線だけの問題ではありませんから、全道的に赤字である。そういう中で、「赤字だから鉄道をやめる」ということになったら、一体北海道そのものを国はどうするつもりでいるのか、これは国の責任を明確に問わなければならない。そういう論点が、町村会の議論を聞いていても何を聞いていても、一向に出てこない。これが非常に問題である。我々の運動も、国に問いかける、国に「北海道を見捨てていいのか」と、そこのところを見捨てるつもりの代議士は、北海道から一人も当選させないぞ、とそのくらいの迫力でやらないと突破できないですよ。

ちなみに、私は様似の坂下町長に、「日高線をなくするべきではない」と何回か言ったことがある。坂下町長は、建前では残したいと言っているが、腹の底では最初からバス転換。今お鉢が回ってきて町村会長をやっているが、しっかりしてもらわないと。そういう面では、池田町長に私は多大な敬意を表したいと思っている。

やっぱり鉄道とはそういう問題だと思う。もっとみんな広くアピールするようなことをお互いに意識して、そういう啓蒙を積極的にやるべきだと思う。




■苫小牧・男性70代
「最初の赴任地、浦河の思い出」
高校を卒業して浦河の電電公社に独身で赴任した。当時浦河駅を降りたら、ザバー、ザバーと50mもないところに波が打ち寄せていた。約50年前は、築地という場所はなかった。

様似、アポイ岳、馬、海産物などなど独特の景観で日高路は本当に素晴らしい。また、息子が浦河に住んでいる関係で苫小牧からよく浦河に来るのに利用する。この素晴らしい日高線を本当になくしてはいけない。




■浦河・女性70代
「日高線の思い出」
日高線に乗って、昭和37年に夫の実家のある浦河に、当時20万都市だった小樽からお嫁に来た。駅に着いたとき、暗い中に波が打ち寄せる音がした。そこから降りて、家のある東町までJRバスで行った。当時は国道も舗装されておらず泥んこで、「本当に私はここに住むんだろうか」と思ったが、朝起きて見たら周りにもたくさん家があって、安心した思い出がある。

当時、浦河には国の出先機関がたくさんあった。裁判所、測候所、法務局などなど、支庁(※今も振興局となってある)や銀行もあった。転勤するときは、地位もある人もない人もみんな駅に着くし、転勤するときは駅から出発した。みんな駅に出て見送り、出迎えした。

東町駅は、浦河高校や日赤に通う人のために後からできた新しい駅。人の暮らしに沿ったもの。また、日高線は、木材、馬、魚を運んだりする大事なもの。浦河の歴史と線路はくっついている。線路は、命をつなぐ大事なもの。無くさないで残すべき。




■苫小牧・男性70代
「日高線の思い出」
現在苫小牧に住んでいるが、生まれは浦河。今、日高振興局のある栄丘(さかえおか)に住んでいた。当時そこから浦河小学校に通っていた。強風の中、山道(さんどう)を泣きながら通った。思い出深いのは、学校の先生が転勤するときに、駅まで見送りに行ったこと。人数が多い時には、線路に沿ってずらーっと並んで手を振った。

苫小牧で日高線復旧存続の署名を集めていた時、「今は様似まで列車では行けないんですね。列車を通してほしい」という方がたくさんいた。興味関心のある人がたくさんいるのだと感慨深かった。




■三石・女性60代
「バスでの移動は本当に大変。公共交通として平等に」
先日とある男性から、「代行バスに乗ったが、三石から苫小牧まで4時間くらいもかかって大変だった」と聞いた。これから列車をなくしてバスの生活はいやだ、と署名してくれた。

また、ある女性からは、「姉が苫小牧にいるが、列車が今ないのでお見舞いに行けない。もしかすると会えないかもしれないが、バスでなんかはとっても行けない。列車がなくて困っている」と聞いた。

一人、日高線の復旧等のために税金の負担が増えたら困るからと言って、署名してくれなかった人もいた。

自分自身も去年の秋に苫小牧から三石まで初めて代行バスに乗ったが、3時間半くらいもかかって本当に疲れた。トイレもないので、水も飲まないで我慢して乗った。これから列車がなくなってバスしかなくなったら大変だなーと思う。乗っている人数が少ないからと言って走らせないのはおかしいのではないか。札幌などは人が多いが、僻地は人が少ないのは当たり前。田舎でも都会でも公共交通として平等に列車を走らせてほしい。何としても復旧してほしい。


■浦河・男性60代
「未来へ向けての明るい展望を打ち出せなければ」
3年ほど前に浦河に転居してきたが、それ以前にも夏だけ浦河に来ていた時期に、一度だけ日高線に乗ったことがある。

印象的だったのは、4~5年前に浦河町出身の田中光敏監督が作った浦河町のPRビデオで、イントロが日高線だったこと。つまり、日高線は日高の観光資源であるということ。

私は技術畑の仕事をしていて、技術面からすると、「残す意味はあるのか」「バスなど他の乗り物が良いのではないか」という意見は、半分は分かる。

昔からあったからそのまま残すべき、と感情論的に言うのは難しいだろうとは思う。実際に、観光資源としてこう活用するのだ、地域の足としてこう活用するのだという将来へ向けての明るい展望を打ち出せなければ、日高線は残らないだろうと思う。

国としては、地方創生などと言っていますが、鉄道を無くすということ自体が地方創生と逆行するものだと思う。JRは国と交渉もしないで地元にだけ負担を…という方向を見ていると、今の国の体質がそのまま出ていて、行政を行っている担当者の怠慢というか、自身のやるべきことをきちんとやっていない、そういう中で日高線がつぶれるということには納得できない思いだ。




■苫小牧・男性40代
「観光振興などお金をかけずにできる提案を、住民から」
昨年11月19日に苫小牧-鵡川間の日高線が復旧した際に「花のめぐみ」というラッピング列車を運行させるプロジェクトの仕掛け人をやった。周りにも、「そんな素敵な列車があったのなら是非乗ってみたかった」という声が多かった。現在は夕張支線を多く走っているようだが、日高線も運行路線として走ることになっているので、住民から活用策を伝えていかねばと思っている。

JR北海道はお金がないと言うが、観光振興という部分では、お金をかけなくてもできることはあると思う。今あるものをどう生かすかが大事ではないか。

JR北海道から切り離された道南いさりび鉄道は、JR北海道から駅・車両・人材を引き受けた第三セクターの会社。沿線の方々は口々に「バスはみんな前を向いて座るから会話がない。だが、列車は両側合わせシートで向かい合って座るので会話が出来て心温まる」と話している。

例えば、いさりび鉄道では、海をバックにイカ釣りの灯りを列車の電気を消したロケーションで見る、ちょうど夜空を見上げるような形で、というのをやっている。それと同じ風景が、実は日高線の勇払-浜厚真の間、ちょうど苫東厚真火力発電所のあるところにある。この部分が夜ピカピカ光って大変美しい。その部分のナイトクルージングだとか、そういったことはあまりお金をかけずにできるのではないか。

他にも、除雪用車両の機関車と連結した普通列車の旅、鉄道安全の日に行われるトンネル火災訓練ツアー、線路の除雪費も問題になっているが、これをツアー商品化して除雪ツアーを企画するなど、アイディアは様々出てくるのではないか。

また、トラックの物流においてもドライバー不足が深刻である。現在宗谷線で貨客混載が実験中であるが、日高でも同様の試みが可能であるのではないか。JRにとっては運送収入にもなる。

反対反対でなく、「こうしたらお客さんが来るのではないか」という提案をピンポイントで住民が行うなどして、やはり利用したい路線にしなければならない。


■苫小牧・男性70代
「JR以外の会社による運行も視野に、希望を持って」
国鉄勤務時に機関士として日高線にも乗っていた(運行していた)。

三陸鉄道は、今般JR山田線を受け継いでその区間を8年ぶりに復旧した。8年かかって開通しているのですから、ここはまだ4年、まだまだ頑張るべき。この素晴らしい日高の観光資源は、北海道の財産。日高線が走れば全国網で繋がる。

JR北海道は、やる気がないなら経営権を放してほしい。(経営権を)国に戻しながら、改めて本州の私鉄なども含めて資本の導入をしていく、別の会社にやってもらう等、そういう面も含めて大きな希望を持ってやっていきたい。

分割民営化の際、日高本線の支線・富内線や道内の長大4線が全部廃止になった。「これで北海道の皆さん、安心して下さい」と、そうやって公約を掲げて選挙をやったのが自民党。あの時点で、日高線は距離が長すぎてバスでは代替できないという理由で残った。今だって距離は変わっておらず同じなのだから、バス転換などナンセンスである。海岸線は国土保全ですから、国が責任を持つのは当たり前。そういう意味では政治的に国会でも取り上げてもらって大きな運動にしていかないといけない。

たまさか今度の知事選で、石川さんが鉄道を守らなければいけない、住民の足として鉄道を位置づけると言っている。そういう面では知事選を大いに活用しながら、公開質問状を出しながら盛り上げていく。そういう形で運動を作って行った方がいいのではないか。そうやって全道規模で運動を盛り上げて、池田町長を支えて行くという立場でやっていくことがいいと思う。


■浦河・男性70代
「運転免許返還後が心配、列車の快適性も」
これから私たちのような町は、観光で頑張っていかなければならない。そういう意味でも日高線が必要。

一番心配しているのは、団塊世代とその前後の人たちの運転免許証の返還後のこと。この世代は、日本の人口の相当の割合を占めると思うが、私を含めてこの層の人たちが、車を運転できない、人に頼んでも目的地まで行かれない、ということになれば、これは大変なことになるのではないか。私たちの世代はモータリゼーションの右肩上がりの時代を来て、鉄道には乗らないということが多かったが、その年齢層も免許を返上した後は、身体の楽な乗り物に乗らなければ大変だ。列車の快適性という問題も重要。

道知事選候補の石川さんが、JR問題が選挙の争点になると言っている。本来こういう予見できることについては、政治家が考えて先手を打ってくれるはずだが、どうやらそうでもない。一般の国民が立ち上がって自分たちを守るべきだと思う。



■浦河・男性40代
「JR日高線、外から見ると・・・」
最近浦河に移住してきた。日高線には乗ったことがない。ツアーコンダクターをやっていた。今日は、日高線問題を外から見たら・・・という観点でお話ししたい。

・若い人の参加を
10~30代の若い人にもっと声掛けをして、声を上げてもらいたい。沖縄の運動も、若い人が結構やっていて注目されているが、この問題もそうやって報道に写真を撮って紹介してもらうなどして広げたい。団塊の世代の人たちだけが言っていることだと思われてはだめだと思う。今以上にいろいろな世代の人たちに声掛けしていく必要がある。

・自分たちが動いていくことが重要
JRも道も国もいい加減だが、だからこそ我々自身が動いていく、自分たちで何かを始めることが大事だと思う。やれることはいろいろある。分かりやすい情報をネットで拡散するとか、もっと気軽にこういうことを話せる場を近場で頻繁に作るなど、広がりがあるといいと思う。意気消沈することはない。内心列車があった方がいいと思いながら、言いにくいと思っている方が確実にいるので、そういう方にも積極的に話しかけて、掘り起こしていくといいと思う。

・インバウンドにバスは難しい
本州で添乗員をやっていたが、6~7年前から日本にも外国人のお客さんがたくさん来ている。が、まず線路で汽車が来ないと、外国の方はまず来ない。外国の方が利用できるフリーパスが使えない。外国人観光客はあまり来なくてもいいとお思いの方もいると思いますが、来てお金だけ使ってもらえばいいじゃないですか、昆布を買ってもらうなどして。ちょっと想像してみて下さい、皆さんがアメリカ、台湾、韓国などへ行くとして、地下鉄とバスがあったら、どちらに乗りますか? たぶん地下鉄だと思います。なぜかと言うと、駅が分かっているから。バスの場合だと、バス停の名前も分からないし、車内の案内も聞こえない。駅だったら何個目の駅と分かりますが、バス停の場合はお客さんがいないと通り過ぎてしまって何個目のバス停か分からない。たぶんバスしかなかったら、そこには外国の人はほとんど行かないと思います。バスは外国人観光客には非常に難しい。それがよく分かるのは、広尾、大樹、忠類ですね。あそこに広尾線があったら、観光客の方も行っていたと思いますが、なくなってしまったのでなかなか行けない。シンガポールや香港のお金持ちは、レンタカーにも乗りたい。でも冬はレンタカーには乗らない。そうするとここには来なくなってしまいます。

・バス業界の問題
名古屋や大阪で、苺狩り日帰りなどのバスツアーの添乗員をやっていたが、バスの運転手さんは確実に少なくなっている。だから、割と高齢の運転手さんが事故を起こしてしまう。ここが全然議論に上っていないのが不思議。軽井沢のスキーバスツアーの事故もありましたが、あれは高齢だったり人手不足の問題がある。大手のバス会社にツアーを依頼しても、運転手がいないから、子会社に頼んだりする。そうすると、実際に来るのは子会社のバスだったりする。そういう状況を知らない方が多いのではないか。本当にバスは少なくなっているし、実際に大型二種の免許を持っている方、国や道にもデータがあると思うが、その中にはもう運転手をされていない方も入っている。

私が心配しているのは、JRが保証している10年後、20年後のこと。それが終わったら、バスもなくなって乗れなくなってしまうのではないか。その後のことをあまり考えていないのは問題。改めて考えてみると、バス転換では全然ダメじゃないかということがたくさんある。それをもっと声を大にして伝えていく必要がある。

・復旧後の具体的提案を
この会での議論を、この会だけで終わらせてしまうのではなく、本当に汽車を走らせるためには何をやっていくかと言う実務的なことをもっと我々で話していきたい。例えば、前と同じ状態に復活してもダメだと思う。観光だけじゃなくて、もっと町の人が使いやすいように駅の場所を移すとか、駅を増やしたり・・・例えば、今の浦河駅を「役場前」に変えて「パセオ」というスーパー前の駅を作るとか、例えば一区間100円にするなどすればそれなら乗るかという人が増えるのではないか等々、いくらでも経営努力はできるはず。町として13億も負担するのは大きい。赤字は補填できないが、人が乗るような努力や提言はいっぱいできますよ、ということはできると思う。もっとそういう話ができないかと感じている。


・旅行戦略も
例えば苺狩り日帰りバスツアーの中に、ローカル線2区間だけ乗って帰ってくる、というものもある。旅行会社は、あまりお金を掛けずに変わったことがしたい。例えば、札幌の旅行会社が襟裳岬日帰りツアーをやる時に、日高線3区間だけ乗って下さい、そのかわりバス会社やお客様に小さなプレゼントをあげますよ、とかそういうことがあれば、旅行会社は絶対にパンフレットに載せる。宣伝になる。地域の方々は、とにかく汽車が来たらこうする、JRにはこういう利益がある、という具体的な案を明確にする必要があると思う。




■浦河・女性70代
「日高線の乗客が減った原因」
札幌行の急行がなくなって、料金が2.5倍に高くなったこと、それがJRに乗らなくなった最大の理由。前は、朝6時前後の列車に乗れば朝9時台に札幌について、会議等に出て、帰りは夕方6時台の列車に乗れば夜9時半か10時には帰って来られた。それまでは、役場も支庁も全部公務員の出張は列車だった。それがなくなって不便になったことが、最大の原因。それで不便になったということで、道南バスのペガサス号ができた。日高線に乗らなくなった、のではなく、乗れなくなった、乗れなくしたのはJR。


■苫小牧・男性70代
「JR北海道の苦境のそもそもの原因」
そもそもの話を考えてみたい。30年前の国鉄分割民営化の時に、国が6822億円の経営安定基金をJR北海道に出して、年間の運用益約500億円で赤字を賄う、という約束だった。それが、バブル崩壊後の国の低金利政策で運用益が目減りし、累計で4500億円ももらえるものがもらえていない。ここに根本的な原因がある。ですから、この打開策というのは、結構政治的なものだと思う。

道知事候補の石川氏が、立候補の会見で、「廃線にするのは簡単なことだが、物流・観光・地域の足の面からも、いったん踏みとどまって何とか鉄路を残すということを検討したい」と言っている。ここにもっと注目して、何とかこの方向に実現したいと個人的には思っています。

■苫小牧・男性30代
「鉄道マニアも」
列車の目的は、通勤・通学・通院、観光、ビジネスなど多々あるが、鉄道マニアという存在も案外無視できないのではないか、と個人的には思っている。例えば中古の電車を走らせているのを写真に撮りたがるマニアの方などが案外多い。そういうイベントをやると、関東・東京あたりからお客さんがやってくると思う。

通院という面では、浦河日赤に通うのに町内コミュニティバスなどは走っているのでしょうか。道南バスの大型バスなどはステップの乗り降りが大変な方がいる。先日苫小牧で見かけたのは、3段ステップに上ろうとしたお年寄りが、持っていた杖を通路に投げつけて、ステップを這って上がっていた。ハイエースなどの10人乗りのような車両をたくさん用意すると、大型二種免許は必要ないですから、そういう運用も地域内で閉じるものであればいいのではないか。


■新ひだか・女性50代
「障害のある人にとっては」
JRの方からは、バス転換になったら低床バスを導入すると言われている。これが障害のある人にとっては、どの駅でも乗れるという感じになる。障がいのある人は、日高線は駅に人がいないのでまず乗れないと諦めてしまうことが多い。JR日高線は、無人駅が多いが、本当は駅に人がいて乗せてもらえるとか、ホームとの段差が少ないとかであれば、車椅子の人でも杖をついている人でも乗れる乗り物です。

そして、障がいのある人が、皆さん乗ってみたら分かると思うのですが、タクシーやハイエースなどの車両で、車椅子でずっと100km以上を移動することの大変さ、車が横に揺れたり曲がったりするたびに体に負担がかかる、その大変さを、一度本当に町長の方たちに経験してもらいたいと思う。


■新ひだか・女性40代
「鉄道廃止と過疎化について」
十勝のふるさと銀河線(池北線)が廃止された当時、陸別町は最後まで廃止に反対しましたが、当時3000人の人口の町でした。それが、列車がなくなったことが直接の原因で、当時10世帯の転出があったそうです。列車があればまだまだ陸別町に住めたという方(透析患者の方や高校通学など)も、北見や他の大きな町へ引っ越ししなければならなくなってしまった。廃止が直接人口減少に繋がるということで、十勝も13万人の人口が2万人減ったと新聞で読んだ。それが全て鉄道廃止が原因ではない、どっちみち過疎化するのだという人もいますが、鉄道が廃止された地域の方が、減り方は大きいということは確実に言えると思う。


■浦河・男性40代
「いったん走らせて」
いったん走らせてもらって、もう一回我々が頑張って乗客を増やす努力をして、それでもし本当にだめだったらその時に廃止してもらえば良くて、今走ってもいないのにだめですと言われるのはフェアじゃない。走らせてみて、いっぱい観光の人を呼んでくるなどの努力をする、それをした上で、一年二年経ってみてやっぱり全然だめだったとなったら、その時また考えてもらえばいいと思う。とにかく一度走らせてほしい。

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